「はぁ、はぁ……。」
「奈津子~、おつかれ~。」
短距離走の練習を終えた奈津子は、呼吸を整えるために、ゆっくりと歩いてくる。
それを労うように、声をかける彼女のクラスメイトたち。
9月の体育祭シーズン。この学校も例に漏れず、体育の時間を使って体育祭に向けての練習を行っている。
「でも奈津子さぁ~、マスクしたまま走ってて、苦しくないの~?」
どうも奈津子は、イネ花粉のアレルギーがあるらしく、この時期はマスクが欠かせないらしい。
普段は、バスケットボール部で活動している奈津子。
体育館で運動しているぶんには問題はないが、外で運動をすると、花粉をたくさん吸い込んでしまって、鼻水とくしゃみがとまらなくなるそうだ。
加えて、グラウンドの横が一面田んぼという素晴らしい立地。イネアレルギーの奈津子にとっては、地獄以外のなにものでもないだろう。
「ん~、確かに苦しいんだけどさ、でも、肺も鍛えられるだろうし、本番はマスクなしで走るから、もっと速く走れるかもしれないじゃん?」
「そう言われるとそうかも……。とにかく、奈津子はうちのクラスのエースなんだから、期待してるよ!!」
「はいはい、人に期待している暇があったら、あんたも走って来なさい。」
呆れ顔で、クラスメイトたちをスタート地点へと追いやる奈津子。
「え~、まだ走るの~?奈津子の鬼~!悪魔~!!」
「わかったから、口を動かしている暇があったら、走る走る!!」

タスケテ-ナツコガイジメルー
ソンナコトイッテルカライツマデモオナカマワリノニクガトレナイノヨ?
ムキーッ!!ナツコノバカー!!! 

「はぁ……はぁ……もうだめ……。」
「なによ、そのくらいでへばっちゃって。」
「あっ……あんたとは体の頑丈さが違うの!!こっちはか弱い女の子なんだから。」
「……それじゃ、まるでわたしが女じゃないみたいな言い方ね。」
ぽろっとこぼしてしまった本音。それが大層、奈津子の気に障ったようだ。
「えっ?いや、そんなことは……モゴモゴ……。」
「……もう一回走ってくる?」
答えを待たずに逃げだす彼女を追いかけるように走りだす。
まるでトムとジェリーのように。

ナツコノオニーアクマー!!チョットダンシ!!ミテナイデタスケナサイヨー!!

「……もう……限界……。」
グラウンド横の芝生の上に倒れこむように寝転がるクラスメイト。
「はいはい、お疲れ様。でも、マスクをしているわたしに勝てないなんて、頑張りが足りないんじゃないの?」
「だから、奈津子とは体の作りが「なに?」……ナンデモナイデス。」
いくら不条理に思えても、余計なことは口にしないほうがいい。
「でも、さすがの奈津子でも、息があがったりするんだね。」
「なに?、まるでわたしが人間じゃないような言い方じゃない。」
「だからゴリラ扱いしたのは謝るって!ほらぁ、マスクが呼吸でペコペコなってて、なんか風船みたいでおもしろいよね。」
奈津子の顔を覆っているマスク。それは、よく見かける白やピンクのものではなく、いかにも医者が使っていそうな、ブルーの大きなもの。
ワイヤーは鼻の形にきれいに折り目をつけられ、プリーツは目一杯広げられた模範的とも言うべきマスクの付け方。目の下から顎まですっぽりと隙間なく覆われている。
「あぁ、これ?走っているうちに、だんだんマスクが湿ってきて、呼吸がしづらくなるのよね~。」
奈津子は、自分の顔を覆っているブルーのプリーツマスクを指さしつつ、そう言った。
優しく丸みのあるフォルムは、呼吸をするたびに、風船のように収縮を繰り返し、ふぅ~、と膨らみ、くしゃっ、という音とともに形を崩す。
「……と・こ・ろ・で?誰がゴリラだってぇ?わたし、せいぜい男扱いされたのかなぁ程度に思ってたんだけど、あんたの中じゃわたしはゴリラだったんだぁ……。」
「ヒィッ!!」
ほーら、言わんこっちゃない。

ホーラ、モウイッカイイッテキナサイ!!コンドハアタマヒヤスマデカエッテコナクテイイワヨ?ゼンリョクデグラウンドイッシュウシテキタラアタマモヒエルデショ?
オタスケ-!!!!

「ふぅ、まったく菜々美ったら、口を開けばあぁなんだから。」
奈津子は、腰に手を当てて、呆れたようにつぶやく。

「……その、ペコペコなるの、なんかいいな。」
近くでそのやり取りを見ていたひとりの男子。彼が思わず漏らしてしまった言葉。ぼそっとつぶやいた言葉は、彼女の耳にも届いたようで、
まるでおもしろいおもちゃを見つけたかのように、こっちに視線を向けて、ズカズカと近寄ってくる。
「ん~?なになに~?かずくんはわたしのマスクに興味あるのかなぁ?」
奈津子が近づくにつれ、運動を終えたばかりの熱気と、汗と洗剤とシャンプーの混じった香しいにおいに包まれる。
「近い!近いって!!」
恥ずかしくて思わず目を逸らしてしまう。
(こいつはいつも距離感が近すぎるんだよ。)
「む~、感じわるぅ~……。」
奈津子は、眉間にしわを寄せ、不満の意を表す。マスクで若干こもった声が、妙に艶めかしい。
「で?変態かずくんは、わたしのマスクがペコペコなるのが気になっちゃうんだぁ~。」
「だっ、誰もそんなこと言ってねぇし!!」(はい、言いました、すみません。)
「別にいいよ~?減るもんじゃないし。」
「えっ?」
思わぬ展開に戸惑って、間抜けな顔を晒してしまう。
「だ・か・ら~、いいって言ってるの!ほれほれ~、スーハースーハー。」
彼女はからかうように、目の前で呼吸を繰り返す。
それに合わせて、大きく開かれたプリーツマスクが風船のように収縮を繰り返す。
ぷくぅ~っ、ぺこっ、ぷくぅ~っ、ぺこっと。
ニヤニヤとした表情を瞳に浮かべて、楽しそうに、わざとらしく大げさに呼吸を繰り返す。
「っ!!」
股間に集まる血液。やばい、このままだとっ……!!
なんとか意識をそらそうと、顔を背ける。
「ちょっとぉ!あんたの希望でやってんだからちゃんと見てよぉ!!」
今度は、顔をぐっとつかまれて、彼女の目の前に持ってゆかれる。
彼女のマスクをつけた顔が目の前にある。僅かに近づいたら唇が触れてしまいそうなくらいに。
プリーツマスクの縫い目から鼻の針金、繊維の模様までくっきり。
「すーはー、すーはー。」ベコッ、ボコッ、ベコッ……。
奈津子は、先ほどと変わらず、目の前でマスクをペコペコさせてみせる
距離が近いせいか、体からも、顔からも伝わる熱量。汗とシャンプーの匂い。加えて、唾液の甘く、香ばしい匂いが混ざり始める。
「すーはー、すーはー。」ベコッ、ボコッ、ベコッ……。
さっきまで運動していた奈津子の顔には、うっすら汗が浮かんでいて、テカテカと艶を放つその柔肌が凄くいやらしい。エッチだ。
「すーはー、すーはー。」ベコッ、ボコッ、ベコッ……。
肉付きの良いムチムチしたふともも、運動で引き締まったお腹、そして、体操着越しに主張する柔らかそうな胸の膨らみ。
触りたい……触ってもみくちゃにしたい。
「すーはー、すーはー。」ベコッ、ボコッ、ベコッ……。
なおも呼吸を繰り返す奈津子。マスク越しに吐息とともに吐き出される奈津子におい。
そんな吐息のにおいがいっぱい染みこんだ奈津子の青いマスク。
唇のあるあたりは、吐息と唾液で、まるでお漏らししたかのように、丸くうっすらと湿っている。
嗅ぎたい。奈津子の恥ずかしいところのにおい。マスクのにおい。嗅ぎたい。
「……なにか言ってくれないと、恥ずかしいんだけど。」
黙ってじっと見つめていたせいだろうか・少し目線を外して、顔を赤らめる奈津子。
……その姿に、完全にやられてしまった。
「……奈津子。」
汗で濡れた髪の毛をかきわけ、奈津子の頬に触れる。
不織布の硬い感触に混ざる、奈津子の柔らかい頬の感触。
軽く撫で回すと、奈津子は、一瞬、くすぐったそうに目をつぶり、「んっ……」と、色気のある吐息を吐く。
目から下以外、顔のほとんどをマスクで覆われている奈津子の顔。唇の位置はわかっている。
マスクが湿っている場所。唇からおもらししたかのように濡れているそこへ向かって、ゆっくりと唇を近づける。
だんだんとマスクのにおいが濃くなる。目をつぶる奈津子。
唇と唇が触れる瞬間っ……!!

「こらー!あんたら授業中になにしてんのよー!!」
「なっ、菜々美ぃっ!?」
「あたしをグラウンド走らせておいて、あんたらは隅でイチャコライチャコラ、ほんといいご身分ですこと!!」
「ちょっ……菜々美!?どこから見てたの!?!?」
「そんなことどうでもいいでしょ!?ほら、授業はとっくに終わってんだから、とっとと行くわよ!!」
そう言って、怒りながら大股でズカズカと校舎へ向かってゆく、クラスメイトの菜々美。
「まっ、待ってってばー!!」
ぽつんと置いてけぼりにされる男ひとり。呆然としていると、クラスメイトを追いかけていったかと思った奈津子が戻ってきて、耳元でぼそっと呟く。
「明日、ちょっと朝練に付き合ってよ。」

ナツコー!!ハヤクキナサイ!!ツギノジュギョウオクレルワヨー!!!

「今行くー!!」

今度こそ走り去ってゆく彼女の後ろ姿を見つつ、残された彼女の芳しい香りに、まるで夢見心地のように包みこまれていた。

続く?