「あのな、おまえら、乳首というものは、ただ乱暴にいじればいいってもんじゃないんだ。」
 学校からの帰り道、性欲を持て余した三人のクソガキが、頭の悪そうなことを喋りながら歩いている。
「乳首開発について語らされたら、シゲルの右に出るやつはいねーなー。」
「いよっ!さすが乳首博士~!!!」
 話の中心となって乳首がなんたるかを熱く語っていた男はシゲルという。まぁ俺のことなんですが。ガキの頃なんて多かれ少なかれこんなもので、経験があるわけじゃないのに、エッチな本を見た知識で色々妄想してはくだらないことを言い合っていたものだ。そして、くだらないことでも他のやつより知識があったりすると博士やら王様やらと持ち上げられて、気分が良くなる。そうすると、調子に乗ってあることないことまで喋ってしまうのであるが、今回も例に漏れず、声高らかに雄弁していたわけなのだが、それがあんな珍事を招くことになろうとは、その時の俺は知るよしもなかった。

「あなたたち!こんな道の往来で、大きな声出して、なにかんがえてるの?言っていることも下品極まりないわ!!あなた、三丁目のゆうじくんだったわよね?今日のことはお母さんにしっかり伝えておきますから!!あとの子たちもいいわね?こんなこと繰り返すようだったら、学校にも連絡入れますから!!」
 すっかり話に夢中になっていて気づかなかったが、ここは要注意ゾーン、ヒステリーおばさんが住んでいる一角。やらかしてしまったと気づいたときにはもう遅い。案の定、玄関から飛び出してきた件のおばさん。俺らの非常識をまくしたてると、多少、顔見知りであるユウジに気がづくと、脅し文句を浴びせる。
「ごめんなさい、気をつけます・・・。」
 このおばさん、細いメガネをかけた、いかにも教育ママといった風体だが、実際、教育委員会とも太いパイプがあるみたいで、へたなことをしたら大事にされかねない。ただ、そこまで意地の悪い人でもないので、真摯な態度を見せればその場限りでおさめてくれることが多い。とにかくほとぼりが冷めるまで、ひたすら頭を下げるしかない。まぁ、とにかくガキ風情には畏敬の対象でしかないわけだ。
「まったくもう、最近の子ときたら・・・。」
 そう言い残して、引き返してゆくおばさん。

「ふぅ、助かった・・・。」
 緊張から解かれたためか、ため息とともに思わず漏れてしまった言葉。
「しっ、気を抜くな、聞こえたらどうする!!」
「・・・すまん。」
「・・・ひとまず公園でも行こうぜ。」

 近所の公園。ブランコに三人並んで座って、空を見上げる。
「あー・・・。」
「やっちまったなぁ・・・。」
「そうだなぁ・・・ばれなきゃいいなぁ・・・。」
 ぼーっ・・・。

「・・・おまえらはまだいいだろ!!」
 突然ユウジが声をあげる。
「うぉっ!突然なんだよびっくりするなぁ!!」
「俺、母ちゃんに伝える言われたぞ!?あーもうなんで、母ちゃんと顔見知りなんだよあのおばさん!!」
 ユウジは続ける。
「だいたいよぉ、今回の発端はシゲルじゃねぇか!!乳首について熱弁してたのはシゲルだろ!?親に伝わらねぇタカユキはともかく、おれなんて完全にとばっちりじゃねぇか!!」
 これを聞いて黙ってられない俺。
「なにを!?おまえだって下品な顔しながらうれしそうに聞いてたじゃねぇか!!!今日はたまたま俺が喋ってただけで、昨日はおまえがべらべらおっぱいの形について語ってたろうが!!だいたいな!周りを気にするのもお前らの役割じゃねぇのか!?昨日だって俺がしっかり見張ってたからこそ、回避てきたんだぞ!?今日こうなったのはおまえらふたりが監視を怠ってたせいじゃねぇのか!?ああんっ!?」
 一触即発。今にも互いに掴みかかろうとしている。

ママー、ナニアレー
シッ、ミチャイケマセンッ!!

「・・・まぁ、落ち着こうぜ、な?」
 さっきまで空気だったタカユキがそう言って、ふたりを離す。
「これじゃ、二次災害が起きちまうぞ。」
「・・・そうだな、すまん。」
「ごもっともでございます・・・。」
 力なくブランコに座り直して、再び空を仰ぐ三人。
 ぼーっ・・・。

「・・・なぁ。」
 すっかり毒気を抜かれたユウジが口を開く。
「あのおばさん、ヒステリーだけど美人だよなぁ。」
「・・・なにげにおっぱいもでかいしなぁ・・・。」
 タカユキも言う。
「さっき飛び出してきたときも、ブルンブルン揺れてたよなぁ。」
 シゲルこと俺ちゃんもさっきの一幕に思いを馳せる。
「「「でも、あんなヒステリーなのはごめんだなぁ。」」」
 三人がハモる。

「・・・なぁ。」
 またもや口火を切ったのはユウジ。
「ほとぼりがさめるまでひとりで帰ろうぜ。」
 ごもっともな提案。俺ら三馬鹿のことだ。明日になったら今日のことをすっかり忘れていて、同じ轍を踏みかねない。
「そうだな、仕方ないな。」
 タカユキも同意する。
「まぁ、喋りたけりゃ誰かの家行けばいいしな。安全だし、モノもあるし。」
「・・・でも、しばらくエロはいいかも。あのおばさんのこわい顔が浮かんでくるわ。」
「そうだな。」
「「「はぁ~・・・。」」」
 三人揃ってため息をつく。

「じゃあ、おまえら、達者でな・・・。」
 親にチクられるという、死刑宣告をされたも同然なユウジ。
「あぁ、幸運を祈る。」
「達者でな・・・。」
「・・・骨は拾ってくれよ・・・。」
 その足取りはとても重そうに見えた。
「俺らも帰るか。」
「あぁ・・・。」

 翌日、学校へ行くと、ユウジも普通にあっけらかんとしている。昨日、帰宅後のことを聞いてみたが、なにもなかったそうな。ユウジは不思議そうに首を傾げる。
「この前、外に干してあった真っ赤なパンティを棒で引っ掛けようとして見つかったときは、吊るし上げられて、布団たたきで100回はケツを叩かれた気がするんだがなぁ。」
 おまえ、それ、犯罪だから・・・。乳首博士が言えることじゃないが、このバカの将来のことが本気で心配になってきた。
 さらに詳しく聞くと、どうも実はそのパンティ、おばさんのものだったらしく、若いお姉ちゃんのものだと勝手に勘違いして必死だったが、おばさんのものだと知っていたら取ろうとしなかったと言う。だからそういう問題じゃないだろうと。勿論使ったら返すつもりだったと、ドヤ顔で言うものだから、軽くひっぱたいた。
 せめてこのアホな少年の人生が変な方向に進まぬように・・・。

 ユウジお咎めなしの話を聞いたのちも、学校でなにかあるかもしれないと一日びくびくしながら過ごした三人だったけれど、学校でも特にお咎めなし。なんだかなぁと思いつつ、今週中は警戒するに越したことはないという結論に至った。そして帰り道。それぞれひとりで帰ることに決めたので、少々心細いが仕方あるまい。他のふたりは遠回りしてでもおばさんの家の前を通らぬ安全なルートを帰ることにしたが、俺はどうも犯人は現場に戻る習性が刺激されてしまったらしく、ひとりなら大丈夫だろうと、怖いもの見たさでおばさんルートを選んでしまった。これが運命の分かれ道だったのだろうか。

 そろそろおばさんの家のあたりだ。少しスリルを感じながらも、怪しまれないように平静を装って歩く。誰もいない、何の変哲もない道。おばさんの家の前を過ぎる。ほーら、なにごともなかった。強がりは言っても、緊張から解かれたためか、ため息が出る。ここの曲がり角を曲がればもう大丈夫。ミッションコンプリート!!そう思って焦る気持ちで確認もせず角を曲がったその時。

 ぽよんっ。

 何か柔らかいものにぶつかって、数歩足ずさりしてしまう。
「あら、あなたは昨日の・・・。」
 魔王からは逃げられない!!

 どうしてこんなことになっているのであろう。魔王の城、否、ヒステリーおばさんの家にお呼ばれして、紅茶とクッキーをご馳走になっている。曲がり角でぶつかったのは、紛れもなく昨日のおばさん。ぶつかった際のぽよんと弾力性のある壁は、言うまでもなくおばさんの大きな胸。買い物帰りだろうか、大きなバッグを肩にかけている。昨日とは違い、大きなマスクで顔を覆っており、すぐに誰かはわからなかったが。そんなこんなで、お時間ある?からの、ちょうど美味しい紅茶を買ってきたからご一緒にいかが?と、なし崩し的に誘われてしまった。どうして昨日のクソガキを好意的に誘うのだろうか。女心はわからんものだ。
「いかがかしら?」
「・・・とってもおいしいです。」
 緊張感からか紅茶を味わう余裕がない。目を合わせるのも怖いものだから、必然的に視線は胸のあたりにいってしまう。さっきぶつかってわかったのだが、とにかく目を奪われてしまうたわわな胸。昨日今日と、外では上着を着ていてはっきりとはわからなかったが、ニットをはちきりそうなくらいに主張をしている。しかし、さっきから自分だけ紅茶飲んでいて、おばさんのところにはなにもない。
「あの、僕だけ飲んで、おば・・・お姉さんはいいのですか?」
 年頃の女性は言葉に敏感だ。自然と口から出てしまったおばさんという言葉を引っ込め、当たり障りのない言葉を選ぶ。
「ふふっ、おばさんでいいわよ。ごめんなさいね、今日はお化粧をしていないものだから。」
 おばさんはそう言って、マスクをしている自分の顔を軽く撫でる。よく見ると、おばさんのマスクは、街でよく見かけるものとは違うようだ。白いそのマスクは、本体と耳ひもが一体型になっていて、まるで顔の輪郭に貼り付くかのようにぴったりとフィットしている。普通のマスクで言う本体の部分、ちょうど鼻と口に当たるあたりには、四角いあて布のようなものが挟んであり、より明るい白さを主張している感じだ。あて布のようなものを挟んでいるとは言え、ぴっちりと顔にフィットしたマスクの表面にはうっすらと輪郭が浮かび上がっており、喋るたびにマスク越しに浮き出た唇の形が生き物のように、ごもごとうごめく。なぜだか分からないが、その動きにいやらしい何かを感じてしまって、主張するニット越しのたわわな胸と相まって、股間が痛くなる。
「・・・どうしたの?お口に合わなかったかしら。」
 思わず前のめりになってしまった僕に駆け寄って、心配する様子を見せるおばさん。香水かシャンプーかわからないが、高そうな香りが鼻孔をくすぐる。
「いえ、ちょっとこういう場は慣れなくて、どうしたらいいのか・・・。」
 前かがみを崩さないまま誤魔化すように苦笑いを浮かべる。そんな俺に対して、ホッとしたように溜息をつくと、諭すように言う。
「そんなに緊張しないで、我が家の用にリラックスしてくださればいいのよ?」
 昨日、あれだけ怖い脅しをかけといてそれを言うか!?と、普段なら心で悪態をつくところだが、たわわな胸にしろくらくらする大人の色気にしろ、もごもごと動く淫らなマスク越しの唇にせよ、煩悩雨を刺激するものが多すぎる。とっとと帰って、今日の妄想で抜かなきゃキャパシティを超えそうだ。おばさんで抜いたなんて言えば、あいつらには馬鹿にされるかドン引きされるかのどちらかだろうが、そのくらいにフェロモンがやばいのだ。あのヒステリーなおばさんが、だぞ?とにかく、向こうにその気はないだろうから、核心部分の話を切り出してとっととお暇することを試みる。昨日の事に関してのお説教かもしれないが、この期に及んでは、マスク越しにもごもごと動く唇で説教されるのもそれはそれでよいものに思えるし、とっとと用事がなければそこで話も途切れるだろう。帰るキッカケには十分だ。
「あの、昨日の今日であれなんですが、僕になにか用事があったり?・・・します?もしかして・・・昨日のことについてのお話だったり?」
「?あっ、そうね、そうそう!本題よね。今日お誘いしたのは本当に気まぐれなんだけど、あなたにお願いしたいことがあったの。」
 一瞬、わけのわからんという顔をしたあと、ハッとしたかのようにそんなことを言った。あれ?完全に墓穴掘りましたかね?俺・・・。
 おばさんはゆっくりとこっちに近づいてきて、俺の座っている二人がけのソファーに腰掛ける。僅かに肩の触れるくらいの距離。女性特有の少し高い体温に合わさって、シャンプーか香水かの濃厚な香りが漂ってくる。
 しばらく無言になるふたり。やがておばさんは意を決したかのように自分の太ももを叩くと、顔をこっち向ける。肩が触れるほどの距離。必然とおばさんのマスクをつけた顔が眼前に広がる。
「今から話すこと、内緒にできる?できないのならこの話はここでおしまい。あなたは帰っていいわ。」
 言葉を紡ぐたびにぴっちりと張り付いたマスクの不思議な造型がもぞもぞと形を帰る。メイクをしていないと言うけれど、マスクに隠れていない細いメガネの奥の目元なんかはそのままでも問題のない美しさを放っている。
「いきなりでわけがわからないでしょうが、これから言うことは、世間的にはあんまりいいことじゃないの。頼む側のわたしが言うのは変だけど、聞く覚悟はある?聞いたらもう戻れないわよ?」
 思考が追いつかない。悪い取引を持ちかけられているのだろうか。戻れないほどやばいことなのか。むんむんとした大人の女性の色香に混じって、マスク越しの熱い吐息がかかる。
「あと、わたしの弱みを握るつもりで聞くのならやめておきなさい。敵対するつもりなら、私はあなたを徹底的に潰すわ。そうね、あなたに関しては、この間のことだけじゃもの足りないわよね。でも、大人たちはあなたの言うこととわたしの言うこと、どちらを信用してくれるかしらね?」
 マスクの上からのぞく、細い眼鏡の奥の瞳。昨日の叱責のときとは違う、鋭い、冷たい視線を向けてくる。反乱したら本当に息の根を止めるつもりだ。これは脅しだ。逃げ道のある脅し。逃げるのなら今よ。逃げられるうちに逃げなさい、深入りしたらもう逃げられないわよ、そのくらいの覚悟があるなら入ってきなさい。緊張と恐怖、そして大人の色気に全身が沸き立つ。言葉を紡ぐたびにもごもごとうごめく、薄い白い膜に覆われた唇のような何か。深くに踏み込んだら、それにも触れられるだろうか。
「会話を録音してても無駄よ?“力のある大人”は、事実を捻じ曲げることなんて簡単なのだから。」
「さて、どうする?ここまで言われても聞く覚悟はある?」
 心は決まった。

「・・・聞きます。」
「・・・わかったわ。」
 予想外の答えだったのだろうか、おばさんは一瞬目見開くと、それだけ応える。
「いい?さっきも言ったけど、断るのならこの話はなかったことに。あなたはなにも知らないし、わたしはなにも言わない。それでいいわね?」
 思い切り顔を近づけられてそう言われる。モソモソと言葉を紡ぐ唇から放出されたマスク越しの吐息は、香水やシャンプーと言った人工的な香りに混じって、僅かに生々しい肉の香りを伝える。今まできらびやかなものに隠されていたが、これがおばさんの本当の香りなのだろう。そんな獣のような香りに更に頭が沸き立つ。 
 おばさんは一度居直ると、拳を口に当てて、軽く咳払い。改めてこっちに向き直ると、こう切り出す。
「・・・あなた、昨日、乳首博士と言われてたわよね?」
 さっきまでの緊張はなんだったのだろうと思ってしまうほどに、拍子抜けした内容。それでも、先ほどまでの恐ろしい雰囲気を思うに、真剣に聞いてるのだろうから茶化すことなくこたえる。
「・・・えぇ、そんな大したものではないですけど、そういう話はしてました。」
 乳首博士と言えど、所詮はあの三人の集まりでの話。情報源はもっぱらよろしくない本。所詮は、国語辞典で隠語を調べてはキャーキャー言っているガキの戯言。ホンモノの女性に触れたことなんてないし、乳首を愛撫したこともない。 
「・・・あなた、乳首にはお詳しいの?」
「・・・理論だけですが。」
 我ながら情けない答えすぎて涙が出てきそうだ。納得の行く答えじゃなかったら、向こうから切ってくるだろう。脅しの材料も十分だし、あとは俺が余計なことを喋らなければよいだけ。とは言っても、現時点で乳首博士について聞かれただけのこと。大したこ話ではない。
「・・・それで十分よ。お願いがあるの。」
 居直って、こっちを真剣に見つめるおばさん。

「わたしの、陥没した乳首を、勃たせてくれないかしら?」

つづく?